カテゴリ:企画展

「ブルターニュの光と風」展イベントを開催しました

7月1日から開催中の「ブルターニュの光と風」展。

フランス北西部のブルターニュに所在するカンペール美術館のコレクションを中心に、現地を描いた19世紀以降の絵画作品をご紹介しております。

モネやゴーギャンなど数々の画家達を惹きつけたブルターニュの魅力を堪能しつつ、西洋近代における絵画様式の変遷も同時に分かるのが本展のポイントです。

同じ海景色を描いても作家によってどうして描き方がこれほど違うのか、そもそも画家達は何故ブルターニュに足を運んだのか、超大型の作品から何故サイズが徐々に小さくなっていったのかなど、本展をとおして様々な謎を発見することができます。

開幕してからイベントとして開催した講演会やギャラリートークでは、これらの謎について解説を行ってきました。

そのイベント時の様子を以下にまとめて振り返ります。

 

◆7月2日(日) 「ブルターニュの光と風」展記念講演会 14:00~15:30
講師:千足伸行氏(本展監修者、成城大学名誉教授、広島県立美術館館長)
会場:美術館講堂

    

開幕2日目に、本展の監修を務めて頂いた広島県立美術館長の千足伸行先生にご講演いただきました。
講堂が満員になるほどの盛況ぶりでした。
ブルターニュはキリスト教信仰が特に篤い地域ですが、信仰心の深さが分かるような宗教主題の作品や、ブルターニュの荒れた海を描いた海景画について多く触れていただきました。
人々の信仰心を描いた作品は、アカデミックな画風のものだけではなく、ゴーギャンもブルターニュの伝統衣装のコワフを身につけた女性がお祈りする傑作を多く残しています。
本展には出品されなかった作品群もいつかは見てみたいものです。
ブルターニュに実際に足を運んだことがある先生ならではの現地の写真資料やご感想など、貴重なお話しをたっぷりお伺いできました。

千足先生とご参加いただいた皆さま、誠にありがとうございました。

 

 

◆7月22日(土)、29日(土) 担当学芸員によるギャラリートーク 14:00~15:00
会場:美術館 企画展示室

  

各日なんと約100人ぐらいのお客様に参加頂きました。
ここまで集まって頂けるなんてびっくり!本当にありがとうございました。
やはり実物を前にして、作品のサイズ感や質感、迫力を肌で感じるのが一番です。
ギャラリートークでは、制作された当時の社会背景や作家に関すること、描かれた主題についてなどなど解説しました。
情報が少しでもあると作品の理解度が深まり、より充実した鑑賞にもなります。

 

実は、イベントのご好評につき、8月もギャラリートークを追加で行うこととなりました!

8月13日(日)、20日(日)の両日14:00~15:00に行います。

申込みは不要です。ご希望の方は観覧券をご購入の上、企画展示室入口にお集まりください。
これからご来館予定の方は、予定を立てられる際の参考としていただければと思います。

 

本展は一部の作品を除いて写真撮影可能、選りすぐりのグッズを揃えた特設ショップも展開しているので、来場されたらぜひ展覧会の思い出をお持ち帰りくださいませ。

  

みなさまのご来館をお待ちしております!

瀬戸語録:「瀬戸正人写真学校 in 福島」第5回報告

写真学校の最終回が、12月26日、雪の中、開催されました。

この日は、1月5日から始まる「成果展」の展示作業がメインでしたが、前回、受講生のみなさんからご要望がでて、急遽、瀬戸さんによるギャラリートークが行われることになりました。

通常の13:30開始の1時間前、12:30に企画展示室入口に集合。

美術館でも慌てて告知をしたので、写真学校の受講生以外の方も来られ、約50名の方とともに、会場をめぐりながら瀬戸さんのお話しを聞きました。

まずは、ギャラリートークの様子を、例によって瀬戸さんの言葉を拾いながらご紹介します。

 

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〈Living Room, Tokyo〉

当初から等身大の大きさで展示することを考え、大型カメラで撮っていた。今回の展覧会でそれがようやく叶った。

ここに写し出された外国人たちの見えない背景を、写真だからこそ写せるんじゃないかと思った。見えないものを撮りたい。

記憶が埋め込まれているのが写真の特徴。絵と違って具体的に見える物しか撮れない。でも写っているものを見せたいわけじゃない。それを見た人の眼を見て欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真ってなんだろう。

まぼろし。写真はフィクション。でもリアルでないとフィクションにならない。

まぼろしのように見せるためにリアルに撮った。

その人がどんな本を読んでいるのか、本棚の本のタイトルまで全部読めるように撮った。

僕らの人生もまぼろしだという感覚。ひとりひとりの記憶の地図を辿ってみたら幻だった、本当に人生を歩いてきたのか自信が持てない、そんな感覚がある。

 

〈Picnic〉

最初35mmカメラで撮ろうと思ってお願いしたけれど断られた。ところが、三脚のついた大型カメラを持って、正面から正々堂々と近づくとみんな快く引き受けてくれる。写真の半分以上は交渉力。

聞いてみたら、付き合って平均3か月のカップル。見方によっては儚い風景。

 

〈Binran〉

檳榔(びんろう)は、南太平洋から中東まである、たばこと同じような嗜好品。しかしこうして販売しているのは台湾だけ。夜道を歩いていると、ネオンに輝くビンラン・スタンドはきれいだった。

デジカメ、5000万画素の中判カメラで撮っている。

カメラは、自分が見ていない、感じていたいものまで写し撮ってしまうもの。

 

〈Silent Mode 2020〉

モデルはどこも見ていない。視点がない。カメラとつながっていない。僕とこの人の間には断絶がある。

 

シャッタースピードは5秒。5秒、じっとしてもらう。その間に自分らしさというものが消えていくはずだ、という考え。そのための時間が必要。

その人らしさ、表情はなくなって欲しい。もしかしたら、そこに人間の哀しみ、人生観とかが浮き出て来るんじゃないか。そう写ればいいなぁと期待して撮っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈Fukushima〉

長年東京に住んでいるけれど、震災後、福島いいなぁと、いつの間にかそう思えるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水の波紋の写真。波紋が写っているだけ。でもここから何かを感じて欲しい。

原発事故がなかったら、こういう気持ちにならなかったかもしれない。こういうものの見方をしなかったかもしれない。

 

 セシウムは見えない。どうやって撮ったいいかわからないけれど、写るはずだという思いがあった。


見えないものを見せたい。その決意をこれらの写真(写真集『Cesium-137Cs-』)で表明したかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桃畑の写真。きれいな写真だけど、大げさに言うと、この文明が破綻しつつあるんじゃないかということを写したいと思った。

 

〈Bangkok, Hanoi〉

父はラオスで終戦を迎えた。メコン川に引き揚げ船が来ると上官に言われたが、負けた日本に帰れないだろうと考え、現地に残る。しかし離脱したということは脱走したということ。名乗り出ることもできず、タイのベトナム人社会に受け入れてもらい、やがて写真館を経営し、家族を持って暮らした。

 

国王が父の住む町に来た時に、町の他の写真館がみな断った随行カメラマンの仕事を父は引き受けた。その国王の写真で一財産を築くことができた。もしこのお金がなかったら、福島に戻ってこなかったかもしれない。

 

父から、どんな仕事も断らないことを教わった。そこから重要なつながりが広がっていくかもしれない。そうやって仕事をしてきた。

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さて、1時間ほどのギャラリートークが終了し、いよいよ成果展の展示作業です。

 

正面の壁に展覧会の看板と瀬戸さんのステートメントを展示。

 

両脇に受講生のみなさんの写真を貼ります。複数展示写真がある人は、写真を左右にわけ、なるべくかたまらないように、ばらばらに、まずはマスキングテープで思い思いに壁に留めていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上下も左右も気にすることなく、まずは貼っていく。その後、全体のバランスを見ながら、少しずつ動かして調整していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置が決まったら、プッシュピンで壁に貼っていきます。

キャプションは付けません。そのかわりそれぞれの番号を写真の下に貼り、誰の写真かわかるようにしました。

 テーマもなく、誰の写真かもすぐにはわかりません。

これまでの講座で瀬戸さんのお話しを聞きながら、写真から何かにじみ出て来るもの、そういうものを目指して写真を撮り、選び、あらためて写真に向き合ってきました。写真に写し出されたそれぞれの記憶の片鱗が集まることで、この展覧会全体から、見る方々に伝わるものが何かあるのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皆さんで記念写真を撮り、瀬戸さんから卒業証書をいただき、この写真学校は終了しました。

瀬戸正人という写真家を知り、瀬戸さんとともに写真について考え、もっと写真が好きになってもらえたのであれば大変嬉しいです。

 

是非たくさんの方に展示を見ていただき、その喜びを共有していただければと思います。

 

 

 

 

瀬戸語録:「瀬戸正人写真学校 in 福島」第1回報告

瀬戸正人さんは1953年、日本人の父親とベトナム人の母親のもと、タイのウドーンタニ市で生まれました。61年、父の故郷福島県の梁川町に家族で移住し、高校生まで福島で過ごします。上京後写真を学び、今では日本を代表する写真家の一人として国内外で活躍されています。

12月4日から当館で、初期作品から最新作までご紹介する「瀬戸正人 記憶の地図」展が始まります。「瀬戸正人写真学校 in 福島」はその関連事業として、8月22日、40名の参加者を迎えて開校しました。講座は6回連続。最後の作品展示を目指し、それぞれが写真との対話を重ねていきます。

写真学校1日目の様子をご紹介しましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

講座では、瀬戸さんが一人ずつ写真を見ながら、いいものをセレクトファイルにピックアップしていきます。そのために、事前に参加者から各々300枚程度の画像をお送りいただいていました。

コロナウィルス感染拡大のため、残念ながら初回から、瀬戸さんは東京からのZoom参加。他にも2名がZoom参加。あとは美術館の講堂に集合し、それぞれの画像をZoomやプロジェクター投影で共有しながら講座を進めていきました。

 

まずは瀬戸さんと写真との出会いから話が始まりました。

20歳の頃、福島から上京し、写真家・森山大道さんの写真を見て、最初これはどういうことなのかよくわからなかったといいます。というのは、自分が知っていたのは写真館をやっていた父親が撮るポートレートや子供の写真、結婚式の写真。街のゴミまで写す森山さんのストリート写真は、それらとは全く異質の写真だったからです。

瀬戸さんは森山さんに「写真って何ですか?」と聞いたそうです。しかしそこに答えはありません。すべてはそこから始まるのです。「何のために写真を撮るのか」「写真って何なのか」という問いは、「どうやって生きていったらいいのか」と問うのと同じようなもの。誰も答えられません。だから言葉を投げかけ、写真と向き合い、自分の撮りたいものを見出して欲しいのです。見出した時に写真はものすごく面白くなります。この学校でそういうことを体験して欲しい。

この講座への思いをお話しいただきました。

 

さて、それぞれの写真を見ていきます。

その中で気になる言葉を拾い上げてみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・写真で撮るべきものは何なのか。撮らなくてはならないものがある。それが何かを見つけること、気づくこと。

 

・写真の定番、絵はがきのような写真をやっても面白くない。

 「風景」にしてはいけない。「私」がなくなってしまう。私が見た風景、私が見た証が必要なのです。

 

・例えば樹氷。言ってみればお墓なんだよね。・・・そう見えれば、撮る人がそう感じたら、写真は違うものになる。「風景」にしちゃうと、そうならなくなる。

 

・戦後日本の風景写真は、写真の中に絵画的な構図、立体感、遠近感を持ち込んで、型を作ってしまった。型は教えられるが、しかし写真はそもそも教えられないもの。写真は絵画とは全く違う。

 

・写真は目に見えないものを写せちゃったりする。

 

・「風景」にしてしまうと、それがダイナミックな風景であればあるほど、どんどん向こう側の世界になってしまう。撮った自分の眼が消えてしまう。自分に引き付けられない。まずは見た自分の眼がある。

 

・まず面白いものを発見したら撮る。そしてもう少し広い眼で見て、空気感、光なども考えて撮る。

 

・失敗したかもしれない。しかしカメラが写してしまったものがある。

 

・中心はどこにあってもよい。なくてもよい。これを見て撮影した人の眼差しが感じられることが大事。

 

・この花を通して私のことを見せたい。花ではなく、花を見た私、その眼差しを共有したい。そしてその眼差しに私たちは感動する。

 

・写真は双方向。撮る人の気持ちと、見た人がそれをどう見るか。自分は撮っているからわかっているけれど、見た人はなんだかよくわからないことがある。

 

・写真の神様がいるんだよね。

 

・写真を見る時、重要なものが写っているかいないか。あるかないか。それがすべて。

 これがわかれば、写真に必要なもの、必要でないもの、何が重要なのかがわかる。

 自分と自分の写真との対話、社会、世の中との対話をする。そうすれば、撮るべきものは何か、撮らなくてもいいものは何かがわかる。

 

・見る眼を鍛える。

 

今回は3時間たっぷりやって半分の方の写真しか見ることができませんでした。スタッフ反省です。しかし熱の入った講座でした。次回は全員が参加できるようにスムーズな進行をしてきたいと思います。

最後の展示を目指して楽しくやっていきましょう。

毎回ブログに瀬戸語録をアップしますのでご期待下さい。

見学希望も大歓迎です。お申し出ください。

「勝手に!大津絵ふきだしグランプリ」結果発表

「大津絵展」にあわせ、エントランスホールで開催していた「勝手に!大津絵ふきだしグランプリ」。

28日(日)で展覧会が終了しました!

たくさんのナイス!を獲得した「グランプリ」は…

 

「どこまでが額ですか?」

 18ナイス!を獲得しました!

 

他の作品も、「〇〇賞」で紹介していきます。

「館長賞」

当館の館長が選んだ一枚は…!

 

「福島の酒はんめーべ? もっと飲まんしょ!」

 

「担当学芸員賞」

今回の「大津絵展」を担当した学芸員が選んだのは…!

 

「きみといっしょにいたい」

 

「監視員賞」

日々、作品の安全を見守ってくれている監視員さん達の票を最も集めたのは…!

グランプリも獲得した 「どこまでが額ですか?」でした。

惜しくも一票差で2位だったのは、

 

「これからデートなんでよろしくお願いします」

みなさま、おめでとうございます!

今回ご紹介できなかったふきだしの中にも、楽しいものがたくさんありました!

ご参加いただきましたみなさま、ありがとうございました!

ジャポニスム展 第六章

企画展「ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ」展より、全6章からなる展示の様子を引き続き、ご紹介していきます。

 

今回は最終回、第6章「アール・デコとジャポニスム」です。

 

アール・ヌーヴォーに続く様式のアール・デコは、20世紀前半の両大戦間期に流行をみせた装飾様式です。
植物モチーフは抽象的な形となり、シンプルかつモダンなスタイルが人気を得ました。
また、工業の進展に伴い、数多くの新しい素材の使用が可能となったのも特徴的な点です。

 

本章で展示されるアール・デコ様式の作品は、日本美術の影響がアール・ヌーヴォーを超えて存続したことを示しています。

それでは、作品をご紹介していきます。

 

アール・デコを代表する作家、ルネ・ラリックの《ナーイアス図飾皿》(1920年頃)。
ギリシャ神話に登場する川や泉の妖精ナーイアスが型押し技法で表されています。
無数の水泡が妖精の体の動きに合わせるように揺らめき、躍動感を感じさせます。
まるで今まさに妖精が水中から浮かび上がってきたかのような錯覚を覚えます。

 

 

スウェーデンのエドワルド・ハルド、オレフォスガラス工場による《網にかかった魚文鉢》(1924年)。
器の周りに、漁網と網にかかった魚がぐるりと一周描かれている面白いデザインです。
水中で魚たちが、徐々に狭まる網の中で戸惑う様子が伝わってきます。

 

 

フランスのガブリエル・アルジー=ルソー《蝶文鉢》(1915年頃)。
茶色がかった色合いの蝶が羽を大きく広げて、器の周りを取り囲むように配されています。
羽の斑紋や立体的な造形など、なかなかリアルな蝶の表現です。器の淡い紫色と羽の緑色の色合いによって、幻想的な雰囲気が醸し出されています。

 

 

ドーム兄弟《ガラス水差》(1910年頃)。
ドーム兄弟は、アール・ヌーヴォー期から活躍していましたが、時代の流れに合わせてアール・デコ様式を取り入れた作品も手掛けるようになり、モダンなセンスによる造形で名声を保持しました。
本作は、表面に艶消しの加工を施して劣化しているような風味をわざと出しています。
フォルムのユニークさと相まって、特殊な色合いと質感により、存在感を感じさせます。

 

 

こちらもドーム兄弟、《多層間金箔封入小鉢》(1925-1930年)。
典型的なお茶碗の形です。色ガラスペーストが全体に滲みとして広がり、不規則な形状の金箔がガラス層の間に挟み込まれることによって、高貴な輝きを放っています。
驚くほど美しい本作は、日本の造形美と漆工芸の世界を集約した名品と言えるでしょう。

 

 

ジャポニスムの影響は、様々な形で表現を変えながら、アール・ヌーヴォー、そしてアール・デコまで続いていたことが分かります。

 

 

 

「ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ」展の紹介は以上となります。

約100年以上前に起こった東西文化交流の熱を、その結果生み出された美しい名作群の魅力を少しでも感じて頂けたら幸いです。

本展は残念ながら中止となってしまいましたが、新型コロナウイルスが収束し、美術館で皆さまとまたお会いできる日を楽しみにしております。