大英博物館所蔵 肉筆浮世絵名品展
ロンドンの大英博物館は、ヨーロッパ最大の日本美術コレクションで知られており、特に浮世絵作品の質の高さは、日本国内を凌ぐ規模である。今回はその中から、肉筆浮世絵の名品を紹介しようという企画である。
浮世絵版画が木版で大量生産されるのに比べ、肉筆浮世絵は絵師が一点ずつ筆をとっており、それだけに遺品も少なく、貴重である。菱川師宣、宮川長春、西川祐信、喜多川歌麿、歌川豊国、葛飾北斎など、江戸時代初期から幕末までの浮世絵師の代表作による、美人画、風俗画、役者絵など130点あまりを展示し、江戸文化の魅力を紹介した。また、本展では、大英博物館所蔵の膨大な下絵、素描類の一部が初めて里帰りし、完成された版画とともに展示された。
ふくしまの美術 昭和のあゆみ
福島県は、浜通り・中通り・会津地方という地域ごとに、それぞれ特色ある文化が育まれてきた。明治以降は、中央の美術界で活躍する作家を輩出する一方、県内でのさまざまな美術運動が起こっている。明治43年には、県内初の洋画団体アートクラブが福島市で誕生し、また大正8年には在京日本画家の団体、福陽美術会が結成され、さらに県内各地の画会や学校を中心としたグループ展などが活発な運動を展開するようになる。昭和にはいると、昭和5年には県内初の公募展、福島美術協会展が発足し、第二次世界大戦後の昭和22年に福島県総合美術展覧会(県展)が始まるなど、美術の普及拡大がはかられている。
この展覧会では、県展発足50年を機に、県内の美術界が成熟してきた昭和初期から約半世紀の福島県の美術を、日本画、洋画、彫刻、工芸、書の5つの分野において概観した。中央の美術界で活躍した作家、県内美術に指導的な役割を果たした作家、各地の美術展草創に尽力した作家など、62名の県出身、ゆかりの作家の優品95点でその成果と特色を回顧し、次代の美術への足がかりをさぐるものであった。
フィリップス・コレクションによる アメリカン・モダンの旗手たち
20世紀初頭のヨーロッパでは、マチスやピカソ、カンディンスキーたちが次々と新しい芸術表現を打ち出し、いわゆる前衛美術運動が活発に展開した。一方、同時期のアメリカでも、ヨーロッパの新運動を受けて、アメリカ独自の近代的な芸術創造を目指す青年画家たちがニューヨークに集結する。
写真家A・スティーグリッツが開設した画廊「291」は、そのような芸術の新しい息吹きをニューヨークにもたらし、アメリカの若き前衛画家を育て輩出してきた。291の活動はヨーロッパ美術から自立した自由でアメリカ的な近代芸術を推進する拠点として、当時の保守的なアメリカに大きな一石を投じたのである。
本展は、この「291」に集った20世紀アメリカ最大の女流画家ジョージア・オキーフをはじめ、天才的な風景詩人ジョン・マリン、抽象画家の祖アーサー・ダヴ、マーズデン・ハートリーらの絵画と、その指導者スティーグリッツの写真作品約80点により、アメリカ・モダニズム美術のみずみずしい息吹きを、わが国で初めて紹介したものである。
抽象絵画の創造力 想念(おもい)がかたちになるとき
今世紀に入って誕生した抽象美術は、第二次大戦後に大きく開花し、絵画の主流を形成するに至るまでに発展している。抽象表現主義をはじめ、50年代のアンフォルメル、60年代のミニマル・アート、それに続くコンセプチュアル・アートへと、多様な表現傾向はわが国の美術にも大きな影響を与えてきた。これら抽象絵画は、「絵画」の枠組みを可能なかぎり拡大することで成立してきたが、しかし同時に、依然として「絵画」であり続けることは、抽象絵画にとって唯一最後の制約であり、同時に拠り所でもあった。主題や表現形式の点で圧倒的な自由を手にした抽象絵画が、逆にそのことによって、「絵画」とは何かという問いかけを先鋭化したといってよいだろう。
本展は、こうした問題意識をもとに、わが国の戦後の抽象絵画の代表作をひとつのサンプルとして取り上げ、(1)アクションとしての筆あと (2)色彩とフォルム (3)物質とマチエール (4)行為の反復 という4つのテーマに基づいて、「絵画」という問題に対する画家たちの真摯な取り組みとその成果を探るものであった。「絵を描く」という行為の足もとを見つめ直し、抽象絵画のもつ豊かな可能性を見ると同時に、難解というイメージでとかく敬遠されがちな抽象絵画を、より身近に親しむ機会となることを目指した。
生誕120年記念 ヴラマンク展
モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)は、マティス、ドランと共にフォーヴィスムを代表する画家として知られている。伝統的なアカデミズムの絵画に反抗したヴラマンクは、ほとんど独学で絵画を学び、明るい原色の色彩と激しく大胆なタッチのフォーヴィスムの画風を生み出した。しかし、彼はそこにとどまることなく、セザンヌの影響を受けて構成的な作風に転じる。そしてさらには、鉛色の色彩とスピード感のあるタッチが特徴的な、独自の表現主義的作風を開花させた。そのようなヴラマンクの制作姿勢や作品は、里見勝蔵、佐伯祐三など、当時の若い日本人画家にも大きな影響を与えている。
ヴラマンクの生誕120年を記念するこの展覧会では、初期から晩年にいたるまでの油彩作品86点によって、ヴラマンクのダイナミックな創作の世界を展観した。
生誕100年 村山槐多展
村山槐多は明治29年横浜に生まれ、京都の中学校を卒業後上京して、大正8年東京で歿した洋画家であり、詩人である。ほとんど独学で誰の模倣でもない強烈な魅力を持った絵と、100篇に上る色彩とリズム感に溢れた詩、さらには小説、戯曲などを遺し、結核性肺炎のためわずか22歳でこの世を去った。
村山槐多の大規模な回顧展は1982年の神奈川県立近代美術館での展覧会以来15年ぶりである。本展では、現存する槐多の作品が少なく、また槐多の絵を見る機会も少ないことを考慮し、「伝・村山槐多」の絵も含めて可能な限り多くの槐多の作品を展示することに努めた。
また、槐多の詩の自筆原稿なども展示し、槐多の詩人としての側面にも光があたるよう努めた。
さらに、資料として少年時代に親戚や知人にあてた葉書、手紙なども展示し、<夭折の天才>と神話化されがちな槐多の実像に迫ることをめざした。
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